最近の事件について思うこと 老後問題 平成19年8月28日更新
平成19年8月に書いた記事を再度加筆修正しています。
お盆を過ぎると、あれほどうるさかったクマゼミの声も聞こえなくなりました。暦の上では秋ですが今年の夏は本当に暑かった。朝から気温は30度を超えていたので当然といえば当然です。
前回まで子どもの話をしましたが、今回の記事は老後問題をとりあげたいと思います
この話を取り上げるときに印象に残った事件があります。
それは「地裁も泣いた認知症母殺害事件の初公判の件」です。介護問題についてどう思うか?今回は問題提起です。
この事件は平成18年4月20日(木)の毎日新聞の朝刊に小さく取り上げられたそうです。
ちょうど車の中でラジオ番組を聴いていて、毎日放送のパソナーリティーがどうしてもこれだけは話しておきたいと言っていたので今でも印象に残っています。
ちょうどこの記事を作成しているときに厚生労働省が「保育所保育料の徴収状況に関する調査の結果について」を公表しています。未納件数は全体の3.7% 日本全国で90億円です。払わない理由のトップが親のモラルの低下。次に収入減上げられています。
(追加:学校の給食費の未納問題もありました。現在はどうなっているのでしょうか。)
さて話は戻りまして認知症母親殺害事件の概要は以下のとおりです。
京都市の桂川河川敷で平成18年2月1日、無職片桐康晴被告が、 認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件です。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。 片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めた事件です。
片桐被告は両親と3人暮らしだったか、西陣織の糊置き職人だった父親の弟子になったが、織物不況で35歳のときに勤めるようになった。平成7年夏、父親が亡くなり、その頃から母親も認知症の兆しが出て一人で介護していました。結婚はしておらず、母親の世話はすべて引き受け、夜中も母のトイレに1時間おきに付き添い、睡眠不足のまま出勤する生活が5年続いた。 派遣社員だった被告は「迷惑をかけたくない」と、介護のために休職した工場を平成17年9月に退職。介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ、カードローンの借り出しも限度額に達し、平成18年1月にはいよいよ家賃も払えなくなった。
職人の父から「人様に迷惑をかけるな」と厳しくしつけられた被告は「命をそぐしかない」と心中を決意した。
最後の親孝行の末に
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都の市内観光し、2月1日早朝、桂川河川敷の遊歩道で 「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は 「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が 「すまんな」と謝ると、母は「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は 「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、 自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、 眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が、片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。 殺害時の2人のやりとりや、 「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。 目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
この事件の判決は懲役2年6月、執行猶予3年(求刑懲役3年)でした。
励ましの言葉
「痛ましく悲しい事件だった。今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分をあやめることのないよう、母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください」
裁判官が最後にこう語りかけると「ありがとうございました」と頭を下げた被告。判決後、弁護士に「温情ある判決をいただき感謝しています。なるべく早く仕事を探して、母の冥福を祈りたい」と語ったという。
このような事件が1年半前にありました。いまでもニュースをみていると夫婦や親子間で介護疲れなどによる殺害、無理心中に至る悲劇が急増しています。
2000年4月に介護保険制度が始まりましたが、この介護問題に真剣に考える時期になっています。今年、北九州市でも生活保護を断られて餓死した老人がいます。老後のことを考え行動しなければなりません。国民年金のみの払ってきた場合、満額支給で65歳から年額792,100円です。20歳から60歳までの加入 保険料は現在月額14,100円です。
また、市町村でも相談業務を行っています。平成19年4月1日から全国の市町村に「地域包括支援センター」が設置されており、高齢者のみなさんを介護、福祉、保健、医療などさまざまな面から総合的に支えるために地域ごとに設置されています。
身近な人にも、痴呆症の方がいるので感じます。最近では痴呆症とは呼ばずに認知症と呼ぶようになってきています。
次月にもこの問題を取り上げたいと思います。